2011年2月19日土曜日

脚の状況

2月も中旬です。旭川も寒いですが(今朝はマイナス14度)、昼間は確実に暖かくなってきているし、日は長くなっているしで、春は近づいています。

脚は、先の別大のときに痛かった部分も癒えて快方に向かっているようです。まだ左脚底がしつこく痛んでますが。

よりにもよって、遠征の大会の朝になぜ痛むのか?
別大、別海、豊平川ハーフ・・・前日ホテルに泊まった大会は、高い確率で撃墜しています。
ちょっと考えてみました。
大会の朝:起床時は、時間に余裕があって、ストレッチをゆっくりしています。さすがに同じ事を繰り返すので、別大はそれこそ控えめにストレッチしましたが、それでも、伸ばした部位がやられました。

自宅から参加できる大会は、気分も軽くあっさりと出場しています。ストレッチはやっぱり軽くやっていますが。

違いはなにか。その時間の長さだろうか。まったくなにもストレッチしないのも、恐いですがその程度が難しいです。筋肉自体は老化しないのが定説ですが、何かあるのだろうか。

直近の別大と別海はひまだったので30分くらい伸ばしていた。やっぱり私には長すぎたかな(@_@;)

2011年2月12日土曜日

50歳記念別府大痛マラソン

別大のメモです。今回は、50歳になって初めてのマラソン大会です。

大会5日前に、ロキソニンテープをいただきに、いつもの医院に通院しました。
ハムのチェックを受けて、硬いと言われました。まぁ~~いつもの事です。
で、今回はボルタレンも処方してもらいました(ロキソニンよりも強いが副作用も強い)。もしも、歩けないような痛みがあったら、今回はこれで頑張ろうかな!という感じになれます。

別大当日は、朝、ゆっくりジョグ。
シャトルバスで競技場から、うみたまごにシャトルバスで移動。
おさる館で、硬いといわれている、ハムを無理しない範囲でゆっくりストレッチ。

でレース1時間前に、再びジョグしようと、階段を下りると・・・、ハムに徐々に違和感→痛みが発生。
「えっ~~~(>_<)」
これで、今回は終わりました。 あとは、ちょっと海辺を歩行して50M・・・歩けない(>_<)。今回は脹ら脛でなくて、めずらしく大腿4頭筋付近です。 ベンチに座って、ボーゼン自失。
10分くらい後に、なんとか荷物場所にもどり、ロキソニン2錠服用。 ボルタレンは、服用して直ぐに走った経験がまだ無いので、怖いので止めました。
じっとして治まるのを待ちましたが、30分くらいで、意を決して海岸線の散歩に出かけました。 痛みは少し和らぎましたが、痺れが酷く残っています。 「この状態で42K走れるか・・・」となると不安ですが、ここまで来て、走らぬ訳にはいきませんので、前回の別海パターンと同じ気持ちです。ただ、今回はキロ5ペースですと関門に引っかかるのが気がかりでした。
で、スタートです。 痺れながらも、気分が高潮しているのか、キロ4分10前後で走れます。しかし、やっぱり筋肉にもどんどん痛みが走ってきますので、キロ4分30まで落とします。 こんなことを繰り返していました。別大国道は、途中で大きなバンクが有って、ここで大ダメージがきました。左足底と、痛めてしまったハムの筋肉にどっと痛みの集中攻撃がやってきました。なにしろ、一歩進むごとに、ミシミシと痛みが貫き、いくらマゾでも我慢できないです。


「もうだめか・・・」まあ、こんなもんです。
こんな位で、痛いなんて、やっぱり普通じゃ無いのでしょうね。

それでも進んで、25Kくらいかなぁ、植え込みについに休みました。

棄権かどうしようか、やっぱり迷いましたが、休んでいるうちに痛みが右足だけになってきたので、進み始めました。

びっこひきひき、さらに15KM進んで、40KM地点で、関門アウトでした。


まぁ、なんなのでしょうね。なんという名前の故障なのか、調べていますが分かりません。こんなランナーいるんでしょうか。

しかし、2年近く100Mも走れなかった事から見ると、恵まれています。まだまだこれからと気を取り直しています。

大会から、6日くらい立ちますが、まだ右ハムが痺れています。
今回は無理を続けたので、ダメージも深いですね。

写真は、大分で買ってきた関サバ茶漬けです。関サバなど高価なものは一切食さない、貧乏一人旅でしたが、大会終了後は、ブローガーさん3名(50歳(私),51歳(3時間7分),52歳(2時間56分))で、打ち上げやりました。
完走した他の2人は、眩しく、羨ましかったですね。

2011年1月24日月曜日

足底の痛み

日曜日朝、自衛隊の周りを3周と半分走ってました。
1周くらいで足の底に痛みが走ってきました。雪路面のゴツゴツが悪かったようです。
ひ弱ランナーは、こんな事でも痛めるんですね。
昔足底筋膜炎にかかって2ヶ月以上満足に走れなかった事もあります。
で、痛みながらも2周以上さらに走ってみました。

夜、状態を調べるため、総合体育館で1時間走。
やっぱり痛むなぁ(^_^;)。

まあ、明日は休んで様子見です。

2011年1月22日土曜日

練習の量・質

仕事が立て込んでいまして、余裕が全くなくなってきました。
別大も、仕事を空けて無理にでも出る始末です。あまり良い記録になりそうもないし、こそっ~~と出場してきます。
この2ヶ月月間走行距離150K~220Kで、どこまで勝負できるか、自分なりに面白いです。
脚は、左脹ら脛だけが、しつこく張っています。1月に練習再開してから、なかなか取れないので、キロ4ではほとんど練習できていません。練習の量も質も悪いなぁ。

2011年1月16日日曜日

ここ4日の練習

先週の木、金と連日トレッドミルで20KM走ってみました。土曜日は、ちょっと脚の違和感が強くなっている感じで、ここでまた休むことになってもしょうがないので、土曜日はゆっくりめで10KMで終了しました。

今日、日曜日はゆっくり1時間30分走~2時間と思って大雪アリーナに出向いたところ、途中でN村親子出現です。親爺さんが後ろでアドバイスして、息子が前を走る・・・をず~~とやっていました。

体感ではキロ4分を少し切るペースな感じですが、後ろ5Mほどをつかせて貰いました。

ちょっと押さえたペースなのか、ついて行くのはしんどくなかったですが、終えてみると脹ら脛の緊張感が高まっていました。つられてしまう性質なので、自分のペースで練習するのも難しいです。という事で、練習も1時間少々で切り上げました。

2011年1月13日木曜日

2010年の練習振り返り


昨年は、大きく練習できなくなるような事態は
2回あったなぁ。まるまる4月と12月。

それでも一昨年よりは走れているので、文句はありません。

4月、12月は、急に走れない日が続くと、あまり練習していないにも関わらず、痛みが出現して広がって重症状態になるのはいつも通りだった。

時間と体調からみて月間400KM以上はなかなかできないですね。300KM超えれば御の字です。5月23日の洞爺湖でサブ3なのでそこらへんを目指すのならば、これくらいでちょうどいいかもです。 無理するか無理しないかのギリギリのところの練習が今年度も続きそうだ。

今の状態は、ちょっとキロ4ペースに近い走りをすると、ふくらはぎに負担がズッシリとかかる感じで、息苦しさは全くないので、蛇の生殺し状態(中途半端な状態)に感じる。はっきり汗だくになって、疲れ切ってヘトヘトになるまで練習したいのだがなぁ・・・・。今のところは無理です。

2011年1月10日月曜日

ブログのサボり と 脚の痛み

先月の12月のすえに、大雪アリーナに練習にいったところ、40分くらいで左足首にじわじわと違和感が出始めストップするものの、戻って歩いている最中に急激に痛みに変化。

これは、脹ら脛ではないので、10月の別海のときの痛みと似たものかなぁ・・・と楽観視していりました。

で、翌日、見事に脹ら脛に転移しました。
あとは、歩いている最中に膝裏に転移。
雪かきの最中に脹ら脛に転移。

正月もじっと治まるのを待っていましたが、正直いって、このまま別府に行ってもマラ損になるのでDNSだよなぁ・・・・と、感じていましたが、ようやく治まってきました。この間、ジョグノートも見ていません。あんまり影響されて早く走りたい・・・という事にならないようにするためです。

この痛みになってからDNSは全然恐くない いや 受け止められる心境なのでいいのですが、前年5月の洞爺湖マラソンの似たような物だったので、別府は行ってみるかなぁ・・・と思っています。

まぁ、なるようになるだろう。

あっ、50歳になりました。その初マラソンが別府・・・という心境もあります。
3時間切りたいが、難しいかな。

コメント