2011年2月12日土曜日

50歳記念別府大痛マラソン

別大のメモです。今回は、50歳になって初めてのマラソン大会です。

大会5日前に、ロキソニンテープをいただきに、いつもの医院に通院しました。
ハムのチェックを受けて、硬いと言われました。まぁ~~いつもの事です。
で、今回はボルタレンも処方してもらいました(ロキソニンよりも強いが副作用も強い)。もしも、歩けないような痛みがあったら、今回はこれで頑張ろうかな!という感じになれます。

別大当日は、朝、ゆっくりジョグ。
シャトルバスで競技場から、うみたまごにシャトルバスで移動。
おさる館で、硬いといわれている、ハムを無理しない範囲でゆっくりストレッチ。

でレース1時間前に、再びジョグしようと、階段を下りると・・・、ハムに徐々に違和感→痛みが発生。
「えっ~~~(>_<)」
これで、今回は終わりました。 あとは、ちょっと海辺を歩行して50M・・・歩けない(>_<)。今回は脹ら脛でなくて、めずらしく大腿4頭筋付近です。 ベンチに座って、ボーゼン自失。
10分くらい後に、なんとか荷物場所にもどり、ロキソニン2錠服用。 ボルタレンは、服用して直ぐに走った経験がまだ無いので、怖いので止めました。
じっとして治まるのを待ちましたが、30分くらいで、意を決して海岸線の散歩に出かけました。 痛みは少し和らぎましたが、痺れが酷く残っています。 「この状態で42K走れるか・・・」となると不安ですが、ここまで来て、走らぬ訳にはいきませんので、前回の別海パターンと同じ気持ちです。ただ、今回はキロ5ペースですと関門に引っかかるのが気がかりでした。
で、スタートです。 痺れながらも、気分が高潮しているのか、キロ4分10前後で走れます。しかし、やっぱり筋肉にもどんどん痛みが走ってきますので、キロ4分30まで落とします。 こんなことを繰り返していました。別大国道は、途中で大きなバンクが有って、ここで大ダメージがきました。左足底と、痛めてしまったハムの筋肉にどっと痛みの集中攻撃がやってきました。なにしろ、一歩進むごとに、ミシミシと痛みが貫き、いくらマゾでも我慢できないです。


「もうだめか・・・」まあ、こんなもんです。
こんな位で、痛いなんて、やっぱり普通じゃ無いのでしょうね。

それでも進んで、25Kくらいかなぁ、植え込みについに休みました。

棄権かどうしようか、やっぱり迷いましたが、休んでいるうちに痛みが右足だけになってきたので、進み始めました。

びっこひきひき、さらに15KM進んで、40KM地点で、関門アウトでした。


まぁ、なんなのでしょうね。なんという名前の故障なのか、調べていますが分かりません。こんなランナーいるんでしょうか。

しかし、2年近く100Mも走れなかった事から見ると、恵まれています。まだまだこれからと気を取り直しています。

大会から、6日くらい立ちますが、まだ右ハムが痺れています。
今回は無理を続けたので、ダメージも深いですね。

写真は、大分で買ってきた関サバ茶漬けです。関サバなど高価なものは一切食さない、貧乏一人旅でしたが、大会終了後は、ブローガーさん3名(50歳(私),51歳(3時間7分),52歳(2時間56分))で、打ち上げやりました。
完走した他の2人は、眩しく、羨ましかったですね。

2 件のコメント:

GO さんのコメント...

内容的には笑えない感じですが
タイトルをみてクスッとしちゃいました"^_^"
それにしてもMassaさんの脚の筋肉って
若い頃、そうとう痛めつけたんではないですか。。
きっと痛みが大人しくしてくれるだけで
フルマラソンでも良い記録は望めますから
次の大会までには何とか収まって欲しいですね。。

Massa さんのコメント...

GOさん、どうもです。
それにしても変な痛みです。普通の筋肉痛ならなんとも無いのですが、このパターンの痛みがくると、歩くことはおろか立っていることもできないほどの激痛になってきます。しかも、なんとなく前兆が感知できる性質です。
ストレッチした部位とか、階段を下りたときとか、荷物を持った瞬間とか、なにげないときに、急にそれはやってきます。

何度やっても学んでいない気もしてきました、俺は猿か!いや猿でも学べるぞ!って感じですか。

若いときの練習は400Mトラックでスパイクでのインターバルの繰り返しですね。あの練習は今やれないですが、やったら一発で故障する気がします。

次の大会までには、今までの故障パターンを分析して、頑張りますね。

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